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大工さんだった時の話
こんにちは高谷です。
少しだけ私の経歴など話したいと思います
動画では何回か話した事ありますが私は20歳から38歳まで大工さんでした。
実家は高谷工務店という会社で祖父が経営していまして、
父は高谷一級建築士事務所を経営し設計士でした。
だからと言って木が好きとか大工さんや設計士になりたかったわけではなく、
幼少期からゲームが大好きで、大人になったらゲームを作る会社に入りたい!
なので20歳まで一度も仕事を手伝ったりもなく、祖父の作業場などにも一度行った事が無かったです 笑
ただ学校は父の勧めで建築の学校に行ってましたが、逆に建築の難しさと周りのレベルの高さについていけず
早々に建築の道に進むのを諦めてしまいました。。。
就職先も見つからず学校を卒業したので、そのまま成り行きで祖父と一緒に大工さんになる事に
その頃の私は、あだ名がマッチ棒と言われるくらい細く最初は材料1つ持つにも大苦戦。
腰は慢性的に腰痛に悩まされ、日々の仕事の激務と成長の無さ、職人業界の伝統的体制に苦しみました。
その頃の私は常に辞めたいと思っていましたが辞める勇気もなく、気づけば10何年大工さんしていました
ただ仕事を任せられる喜びは格別で、その頃になると家1軒まるごと任せられるようになって
お客様とのやり取り、新たな出会いに感謝して遣り甲斐を感じるように
特に応援大工と言って他社さんの工務店に外注で大工工事で行くのは、大好きで
新たな大工さんや自分の知らない世界、構法や技術を学ぶのは楽しかったです。
38歳で祖父の後を継いだ時も最初は下請け工事しながら大工工事もしていましたが、常に1人!
1人が好きなくせに寂しがりで毎日孤独と戦っていました。笑
今現在は会社となり人も増えました。大工さんやった時は自分が資本、基本1人だったのが
今は会社としてスタッフと共に一緒に前を向けるのは本当に幸せで、毎日がワクワクしています。
会社に帰った時おかえりーって言われる喜び 笑
私が一度も会社勤めをしたことが無いので、余計にかもしれません。
大工さんやった時の話が少しずれてしまいましたが、
要望がありましたら、もっと詳しく書いていきますね^^
はだしの家では、姫路市を中心に関西全域で活動しています。
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ではまた